内親王7人の結婚相手はどんな人たち?愛人とのスキャンダルがあった夫も!

秋篠宮家の長女・眞子内親王殿下の結婚問題が色々取りざたされています。

眞子内親王殿下と小室圭さん
宮内庁HPより

問題が山積みで、この先もまだまだ揉めそうです。

 

皇族出身女性と結婚するのはかなり大変。

過去には、どういった方々が内親王と結婚したのでしょうか。

 

天皇陛下の妹・黒田清子さんから、昭和天皇の4人の娘、そして上皇陛下の従妹2人の夫がどういう方々だったのか・・・。

眞子内親王殿下のお相手とはどうやら大きな違いがあるようです。

 

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内親王の結婚相手:今上天皇陛下の妹・黒田清子さんの夫

天皇陛下の妹・黒田清子さんの夫は、黒田慶樹(よしき)さんです。

黒田夫妻には子供はいません。

慶樹さんは学習院大学卒業で、秋篠宮殿下のご学友でした。

学習院大学卒業後、三井銀行勤めをします。31歳の時に銀行を退職し翌年に東京都庁へ入庁。

秋篠宮殿下とは卒業してからも交流があり、その中で清子さんと再会してお付き合いし、結婚へ至りました。

資産家でもなければ旧華族でもない慶樹さんと紀宮内親王(当時の清子さん)殿下の結婚は、特に問題になるようなことはありませんでした。

これも慶樹さんご本人の人柄と、秋篠宮殿下の信頼があったからなのでしょう。

 

いわゆる歴史的な良い血筋ではなくても、色々周囲をみてみるとそれなりの方々が親戚にはいたりします。

父方の祖父・黒田慶太郎は実業家で、上海紡織の代表取締役会長でした。

慶樹さん本人は皇族や旧華族の血筋ではありませんが、父方の伯父・慶一郎は旧華族出身の方と結婚

父方の伯母も旧華族の家へ嫁いでいます

どちらも武家の流れをくむ子爵の旧華族。

慶樹さんの父・慶次郎さんも初等科から学習院で学び、学習院大学を卒業後にトヨタ自動車に勤務していました。

皇族のご学友となるには、やはりそれなりのバックボーンがあるようです。

 

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内親王の結婚相手:上皇陛下の従妹2人の夫たち

上皇陛下には2人、従妹の内親王がいました。

昭和天皇の弟・三笠宮崇仁親王の長女・甯子内親王と次女・容子内親王です。

結婚後に皇室離脱し、近衞甯子さん、千容子さんとなっています。

 

内親王の結婚相手:上皇陛下の従妹・近衞甯子さんの夫

近衛甯子(このえ やすこ)さんの夫・忠煇さんは、近衞家第31代当主で日本赤十字社名誉社長

忠煇さんの兄は第79代内閣総理大臣・細川護熙。次男である忠煇さんは、実母の実家へ跡取りとして養子に入りました。

近衛家は五摂家の一つで旧華族のなかでも別格。さらに五摂家でも筆頭であります。

五摂家とは以下の通り▼

摂家(せっけ)とは、鎌倉時代中期に成立した藤原氏嫡流で公家の家格の頂点に立った5家(近衛家鷹司家九条家二条家一条家)のこと。大納言・右大臣・左大臣を経て摂政・関白、太政大臣に昇任できた。摂関家(せっかんけ)、五摂家(ごせっけ)、執柄家(しっぺいけ)ともいう。この5家の中から藤氏長者も選出された。

ウィキペディア「摂家」より

 

内親王の結婚相手:上皇陛下の従妹・千容子さんの夫

千容子(せん まさこ)さんの夫・宗室(そうしつ)さんは、茶道裏千家16代家元

1983年に結婚して、二男一女の3人の子どもがいます。

千夫妻の近影は裏千家HPからご覧いただけます⇒こちら

 

内親王の結婚相手:昭和天皇の娘4人の夫たち

昭和天皇の娘4人で、天皇陛下からするとおば(伯母3人と叔母1人)にあたります。

昭和天皇には娘が5人いましたが、次女・久宮祐子内親王は1歳で薨御(お亡くなり)になっています。

長女・成子内親王、四女・厚子内親王、五女・貴子内親王、そして三女・和子内親王の順番で紹介します。

 

昭和天皇の長女・東久邇成子さんの夫

東久邇盛厚・成子夫妻

東久邇成子(ひがしくに しげこ)さんの夫・盛厚さんは、明治天皇の孫です。

成子さんの母・香淳皇后(昭和天皇の妻)の従弟です。

結婚当時は盛厚さんは皇族で、盛厚王殿下でした。

成子さんは皇族と結婚したということになります。

 

盛厚さんは軍人でしたが、戦後は公職追放となっています。

戦後二人は皇族離脱して民間人となり、盛厚さんは北海道炭礦汽船社長室勤務の後帝都高速度交通営団監事等を務めました

成子さんは1961年に35歳の若さで、癌で亡くなっています。

盛厚さんは成子さんと死別後に再婚し、再婚相手との間に2人の子どもを授かりましたが、1969年に53歳で肺癌のため亡くなりました。

成子さんと盛厚さんの間には5人の子どもがいます。

 

昭和天皇の四女・池田厚子さんの夫

 池田厚子さんの夫・隆政さんは、旧岡山藩主池田侯爵家の第16代当主です。隆政さんも旧華族。

1952年にお二人は結婚。池田夫妻には跡取りがなく、第16代で池田家が断絶するようです。

東京で生まれた隆政さんは、学習院高等科を卒業後岡山市へ移り、池田牧場を経営して、結婚後に岡山市に池田動物園を開きました。

その池田動物園では、厚子さん自ら売店に立って働くこともありました。

隆政さんさんが2012年に亡くなったあと、動物園の経営が思わしくなく、厚子さんが私財をなげうって損失を補填することもありました。

池田動物園は現在は、新型コロナウィルス感染拡大防止の「緊急事態宣言発令」にともない臨時休業中です。

 

昭和天皇の五女・島津貴子さんの夫

島津貴子(しまづ たかこ)さんの夫・久永さんは、学習院大学卒業の実業家。上皇陛下のご学友でした。

後にソニー株式会社取締役、財団法人ソニー教育振興財団専務理事などを歴任しています。

また久永さんは、貴子さんの母・香淳皇后の従弟にあたります。

 

昭和天皇の三女・鷹司和子さんの夫

鷹司平通・和子夫妻

鷹司和子(たかつかさ かずこ)さんの夫・平通(としみち)さんは、公爵鷹司信輔の息子

鷹司夫妻には子どもはありませんが、平通さんの甥(妹の子)を養子に迎えています。

和子さんと平通さんが結婚をしたのは1950年。華族制度が廃止された後の結婚でしたので、当時は皇族が一般家庭へ嫁入りしたと話題になったようです。

廃止されたといっても、鷹司家は五摂家の一つで旧華族のなかでも別格です。

 

平通さんは1966年に43歳で亡くなりましたが、その死はスキャンダルになりました。

銀座のバーのホステス・前田美智子のマンション宅で、全裸にガウンを着て死んでいる平通さんと美智子さんが発見されました。

ストーブの不燃焼が原因の一酸化中毒死とされていますが、真相は違うのではという噂もあります。

平通さんは著書「鉄道物語」がある鉄道研究家であり、実直な人だと評判だったので、衝撃はかなり大きかったようです。

残された和子さんは自宅に包丁を持った男に侵入される事件などがあり、後に昭和天皇の計らいで赤坂御用地内に住むことになりました。

 

最後に

今回は、内親王7人の結婚相手についてまとめてみました。

昭和天皇の長女・成子さんと、五女・貴子さんは、母香淳皇后の従弟と結婚するなど、親戚筋とのつながりも太いです。

内親王の結婚相手全員が旧華族というわけではないのですが、やはりそれなりの方々。

こういった過去をふまえてみると、眞子内親王殿下のお相手のバックボーンを色々取りざたされてしまうのは仕方がないのかなと思ってしまいます。

夫のスキャンダルに翻弄された昭和天皇三女・和子さんの場合は自由恋愛ではなかった分、救いの手が差し伸べられやすかったのでしょう。

自由恋愛で結婚へとなる眞子内親王殿下の場合、不測の事態になるとどうなってしまうのでしょうか。

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